長岡半太郎先生の机
JUGEMテーマ:自然科学
(以下、敬称は省略させていただきます)
日本の物理の創成期、原子物理の大権威で電子の発見者でもある、JJトムソンに、真っ向勝負を挑んだ一人の日本人がおりました。
その名は長崎県大村藩士、長岡治三郎の一人息子、長岡半太郎。
高校の教科書にもあるように、JJトムソンの「ブドウパンモデル」と並び立つ原子核モデル「土星モデル」を提唱。
東洋の小国に過ぎなかった日本発の卓越したアイデアは、世界を驚嘆させました。ドイツの科学館にも「長岡モデル VS トムソンモデル」という特集が展示されておりました。
理化学研究所主任研究員時代の机が、理化学研究所に保存されています。
(以下、敬称は省略させていただきます)
日本の物理の創成期、原子物理の大権威で電子の発見者でもある、JJトムソンに、真っ向勝負を挑んだ一人の日本人がおりました。
その名は長崎県大村藩士、長岡治三郎の一人息子、長岡半太郎。
高校の教科書にもあるように、JJトムソンの「ブドウパンモデル」と並び立つ原子核モデル「土星モデル」を提唱。
東洋の小国に過ぎなかった日本発の卓越したアイデアは、世界を驚嘆させました。ドイツの科学館にも「長岡モデル VS トムソンモデル」という特集が展示されておりました。
理化学研究所主任研究員時代の机が、理化学研究所に保存されています。
この長岡半太郎の弟子が仁科芳雄、その弟子が湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一、その弟子が南部陽一郎、小柴昌俊、さらに、小林誠・益川敏英、梶田隆章・・・と世界のトップを走る日本の原子、素粒子物理学につながっていったのですね。